佐藤健さんがTikTokで公開した、TWICEのユニット「MISAMO」との共演動画。撮影の舞台裏が映されたこの動画で、両者の身長差が大きく見えるとXで反応がありました。
記事はこれを「驚愕の声続出」と報じています。
でも記事自身が、衣装の違い(ブーツとハット)で説明がつくと認めています。
3行で終わる話が、なぜ1本の記事になったのか。今回の煙は「悪意」からではなく、「中身のない話を記事にした」構造そのものから生まれています。
「驚愕の声続出」——根拠はXの2件
見出しを確認してみましょう。
佐藤健、MISAMOとの共演シーンで「デカすぎる」"想定外の身長差"に驚愕の声続出
「驚愕」「続出」。どちらもかなり強い言葉です。
では、記事が根拠として引用しているXの投稿は何件でしょうか。
《佐藤健さんの身長がMISAMOと比べてすごく大きく見えるのは錯覚ですか??wwww》
《え、佐藤健さんってこんなにデカイん?笑 MISAMOも背高い方なのに》
2件です。
もちろん、X上には他にも同様の反応があった可能性はあります。記事が「例として」2件を選んだだけかもしれません。
ただ問題はそこではありません。
見出しで「驚愕の声続出」と書く以上、読者はそれなりの規模の反応があったと受け取ります。ところが記事内には「続出」の規模を示すデータが一切ない。投稿数も、トレンド入りの事実も、エンゲージメントの数字もありません。
3行で終わる話を「記事」にする構成術
この記事の最大の特徴は、記事にするほどの情報がない話を、構成の技術で「読める記事」に仕立てている点です。
記事の中身を要素分解してみましょう。
- 佐藤さんがMISAMOと共演した(事実)
- 身長差が大きく見えるという反応がXに出た(規模データなし)
- 衣装の違いで説明がつく(記事自身の結論)
情報としてはこれで全てです。3行で終わります。
ところが記事は、ここに以下の「装飾」を加えています。
- MISAMOの身長データ(163〜165cm)と佐藤さんの身長(170cm)の比較
- 「基本的にそれほど差が大きくないはず」という"謎"の提示
- K-POPガールズグループの平均身長事情の解説
- 日本のアイドルと比べたMISAMOの身長イメージ
- 「大物たちの身長差には、そんなカラクリがあったのだ」という"解決"
これらはすべて周辺情報です。元の出来事に新しい事実を加えているわけではありません。少ない事実を比較データと解説で包んで、記事としてのボリュームを確保しています。
「芸能担当記者」という装置
記事中に「芸能担当記者」が二度登場します。
一度目は、身長差が話題になった経緯の説明。二度目は、K-POPガールズグループの身長事情の解説。
どちらの発言も事実関係を補足する形で書かれています。でもよく読むと、この「記者」のコメントが実際にやっていることは、3行で終わる話にもっともらしい奥行きを与える装飾です。
「MISAMOは160cm半ばで、日本の音楽番組に出演した時には、日本のアイドルグループと比べ、身長の高さが目立っていました。そうしたイメージがあっただけに、佐藤さんとの身長差に驚いた人が多かったようです」
K-POPの身長事情という文脈を足すことで、「なるほど、だから驚きだったのか」という納得感に変換されています。
記者コメントの存在自体が悪いのではありません。ただ、「コメントがなければ記事として成立しない」ということ自体が、元の話題の薄さを物語っています。
「カラクリ」という言葉が生むニュアンス
記事の締めの一文に注目します。
大物たちの身長差には、そんなカラクリがあったのだ。
「カラクリ」——仕掛けやトリックがあったかのような表現です。
実態は、撮影の衣装が違っていただけ。現場では当たり前にあり得る話です。それを「カラクリ」と呼ぶと、あたかも何かを偽装していたかのようなトーンが生まれます。
記事にそうした意図があるかどうかはわかりません。ただ、この言葉の選び方が読後の印象を左右している構成にはなっています。
SmokeOut視点:「不要な煙」という問題
この記事には人格攻撃も悪意のあるラベリングもありません。佐藤さんの過去の記事(「ナンパ動画」記事や「ナルシスト」記事)と比べれば、はるかに穏やかです。
だからこそ、考えさせられます。
「衣装が違ったから身長差が大きく見えた」——一文で終わる話を記事にするために、「大げさな見出し」「驚愕の声続出という演出」「周辺データによる水増し」「専門家風の解説」が必要だった。
この記事の煙は「害のある煙」ではなく「不要な煙」です。
「面白くない話を面白く見せるための技術」は、エンタメ記事では日常的に使われています。でもその技術が、「驚愕」「続出」「カラクリ」といった大きな言葉で実態を膨らませる方向に向かうとき、読者は「実際より大きな話題が起きている」と錯覚します。
誰も傷つけてはいません。でも、こういう書き方が当たり前になると、読者の"話題を受け取るセンサー"は少しずつ鈍っていく。大げさな表現に慣れてしまう。
それが、この種の記事が持つ静かなリスクです。
そもそも、この記事は必要だったのか
改善提案をするとしたら、「見出しを変える」レベルの話ではないと思っています。
この記事の中で、記事自身が答えを出しています。
- 身長差は衣装の違いで説明がつく
- Xの反応は「wwww」「笑」程度の軽い感想
- 「芸能担当記者」のコメントがなければ記事にならない
つまり、記事にするほどの出来事が起きていません。
もちろん、エンタメメディアにとって「軽い話題を楽しく届ける」ことは大切な役割です。佐藤健さんとMISAMOの共演自体は、ファンにとって嬉しいニュースでしょう。
でも、それなら「コラボの中身」や「撮影の舞台裏で何があったか」を掘り下げればいい。身長差という一瞬の視覚的な印象を「驚愕」「カラクリ」に膨らませるのではなく、共演の背景や両者のコメントといった中身のある情報を届ける方が、読者にとっても、佐藤さんやMISAMOにとっても、記事としての価値があるはずです。
「中身がないから大げさにする」のではなく、「中身がないなら記事にしない」という選択肢。あるいは「中身を取りに行く」という選択肢。
メディアにとって、それは難しい判断かもしれません。でも読者としては、その判断ができるメディアを信頼したいと思うのではないでしょうか。
まとめ:見出しの大きさと中身は釣り合っていますか?
- Xの投稿2件で「驚愕の声続出」——その規模感、本当に「続出」でしょうか?
- 衣装の違いで説明がつくと記事自身が認めている——なぜ「カラクリ」と呼ぶ必要があったのでしょうか?
- この記事の見出しを外したら、中身は見出しの大きさに見合っていますか?
今回の煙は、誰かを傷つける種類のものではありません。でも「何でもない出来事を大きく見せる」構造は、私たちの情報感度を少しずつ鈍らせます。
立ち止まって、見出しと中身の温度差を測る。その小さな習慣が、メディアリテラシーの一歩になります。