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更新: 2025/10/8

「苦悩」って、誰が決めたの?草間リチャード敬太さん報道に見る“心の中の物語化”

「苦悩」って、誰が決めたの?草間リチャード敬太さん報道に見る“心の中の物語化”

本人の代わりに、勝手に心の中を語らないで

Aぇ! groupの草間リチャード敬太さんが逮捕されたというニュース。

ショックを受けた人も多かったと思います。

事件そのものは事実です。

でも、この記事には、いつの間にか“別の物語”が始まっていました。

「草間はグループ内での立ち位置に悩んでいた節があります」

「Aぇ! group全員そろってのインタビューで、一言も発さないことがあった」

「酒量が増えていた」「苦悩が事件に繋がってしまったのか——」

これらの言葉はすべて、本人の発言ではなく“関係者”による語りです。

どこかで聞いたような“悲劇の筋書き”。

けれど、これって本当にニュースでしょうか?

それとも、ただの脚本?


🔍 構造で見ると、心を「事件の原因」にしている

記事の流れを整理すると、こうなっています。

A:草間リチャードさんが逮捕(事実)

B:番組・事務所の対応(事実)

C:芸能関係者が「立ち位置に悩んでいた」と証言(推測)

D:「苦悩→酒→事件」という因果構造を形成

E:「こうした苦悩が今回の事件に繋がってしまったのか——。」(結論)

つまり、事実のあとに「心理の脚本」を置く構造です。

しかも、その台詞をしゃべるのは、名前も立場も出てこない“芸能関係者”“制作関係者”。

UNESCO報道倫理ガイドライン は明確に述べています。

「報道は、当事者の心理的・医療的状態を、専門家以外の推測によって説明してはならない。」

つまり「苦悩していた」「卑屈になっていた」という表現を本人の同意なしに使う時点で、

すでに報道は“事実報道”から逸脱しています。


💬 「立ち位置に悩んでいた」「卑屈になっていた」──どこまで事実?

記事中にはこんな文があります。

「仕事が増えるほどに自身の方向性に悩んでいたようで、それを発散する方法が酒だったといいます」

「最近は酒量が増えていたとの報道も出ている」

どれも「〜ようで」「〜といいます」と書かれている。

でも、誰が言ったのかは一切出てきません。

IFJ(国際ジャーナリスト連盟)倫理憲章 ではこう警告しています。

「匿名の引用は、事実確認が困難な場合や、人物の尊厳を損なう可能性があるときには慎重でなければならない。」

記事の“語り手”が見えないまま、

「苦悩」「酒」「事件」がひとつの線で結ばれていく。

読者は、小説を読んでいるのと変わりません。


🪄 見出しリライト:心を想像せず、事実で並べる

元タイトル:

「一言も発さないことも」草間リチャード敬太 公然わいせつ逮捕の裏で苦悩していた「グループ内での立ち位置」

🌤 改善案(SmokeOut基準):

草間リチャードさん逮捕報道 グループ活動の今後と事務所の対応

「心の中」を主語にしないだけで、報道の温度が下がります。

感情や印象を並べるよりも、「今わかっていること」だけを書くだけでも十分。

ニュースは“解釈”ではなく、“確認”であるべきです。


🌻 まとめ:「苦悩」という言葉を使う前に

ニュースが「苦悩」を描こうとするとき、

そこに優しさがあるとは限りません。

「こうした苦悩が今回の事件に繋がってしまったのか——。」

この記事の最後のこの一文。

それは読者の感情を収める“ナレーション”として機能しているだけです。

でも、本人の声を抜きにしたまま、「苦悩が原因」と書くことはいかがなものでしょうか?

Council of Europe「Resolution 1003」 はこう警告しています。

「報道は人間の尊厳を損なわず、感情を利用してはならない。」

草間さんが何に苦しみ(そもそも苦しんでいるかどうかも分からない)、

何を考えていたのかは、本当のところ誰にもわかりません。

わからないことを、わからないままに置いておくこと。

それが、報道の誠実さだと思います。

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