🪞 「さんざん煽っておいて」という見出しが、いちばん煽っている
10月16日、Mrs. GREEN APPLEがYouTubeで発表した
「フェーズ2完結」と「フェーズ3始動」のお知らせ。
ファンの多くが「安心した」「続いてくれて嬉しい」と声を上げる中、一部のニュースではこう報じられました。
「さんざん煽っておいて」
「重大発表に批判の声」
でも、本当に“煽っていた”のは誰だったのでしょうか。
🎵 炎上のあとに残ったのは、音楽だった
記事の中で「音楽そのものが語られていない」例として挙げられたのが、MVが問題視された楽曲『コロンブス』でした。
確かに、あの騒動は大きかった。
企業タイアップは中止、MVは非公開。
「表現の適切性」についての批判が集中し、音楽そのものの話はほとんどされませんでした。
でも、その後どうなったか。
YouTube公式チャンネルに投稿されたライブ映像は、10月21日現在で3,677万回再生を突破。
『コロンブス』のイントロが流れた瞬間、観客から明らかな歓声が上がっています。
さらにコメント欄には、こんな声があります。
「MVが停止されても、キャンペーンがなくなっても、この曲はずっと大好きだからな!」
このコメントには2.2万件の「いいね」がついています。
炎上が去ったあとに残ったのは、音楽そのものでした。
📡 「炎上」は報じるのに、「回復」は報じない
ここに、現代メディアの構造が見えてきます。
- 炎上や騒動は速報で取り上げる
- しかし、その後の再評価や支持の積み重ねは報じない
その結果、読者の記憶には「炎上した人」という印象だけが残る。
でも実際には、ファンの中では音楽が息を吹き返し、むしろ強く愛されている。
「話題性ばかり」と言われるアーティストの多くが、その“ニュースの外側”で音楽的な成果を積み重ねているのです。
🧠 元記事の指摘に、耳を傾ける
記事には、こんな一文があります。
「バズればバズるほど、楽曲の評価や魅力よりも彼ら自身の存在や言動に対する賛否が中心になります。」
この指摘は、確かに一理あります。
“話題ばかりが先行してしまう”という危うさは、どんな人気アーティストにも共通する課題かもしれません。
でも、ここには一つ大事な視点が抜けています。
💬 音楽は、ノイズを超えて届くもの
記事は「音楽が薄れている」と言います。
でも、『コロンブス』の例が示しているのは、むしろ逆のことです。
炎上というノイズが去ったあとに、音楽だけが残った。
それは、音楽が“弱くなった”のではなく、音楽のほうが強かったということではないでしょうか。
🗣️ 「さんざん煽っておいて」——その言葉、誰に向けられている?
改めて、元記事のタイトルを見てみましょう。
「さんざん煽っておいて」ミセス“重大発表”に批判の声
この見出し自体が、実は“煽り”の構造そのものです。
- 「さんざん煽っておいて」← このフレーズ自体が感情を刺激する
- 「批判の声」← 実際には賛否両論だったのに、批判だけをフレームに
- 「構造的な問題」← 大げさな言葉で重大性を演出
SmokeOutでは、こうした現象を「構造的アイロニー」と呼びます。
「煽りを批判しながら煽ってしまう」——
そんな逆説が、今のニュース構造の中に埋め込まれているのです。
🌱 まとめ:静かな誠実さが、いちばん届いている
「煽り」ではなく「誠実な報告」だった。
「炎上」ではなく「成長の物語」だった。
それでもニュースは、“不安”や“怒り”の形でしか届けようとしない。
でも音楽は、そのノイズを超えて届くものです。
フェーズ3を告げたミセスの言葉は、
静かに、でも確かに、聴く人の心を照らしています。
SmokeOutは、火のないところに立つ煙を、今日も静かに晴らします。