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「面影がない」ってニュースになる?水嶋ヒロさん報道の“驚きテンプレート”

「面影がない」ってニュースになる?水嶋ヒロさん報道の“驚きテンプレート”

「面影がない」って、ニュースになるんだっけ?

髪を伸ばしたら「印象がらり」。

ひげを生やしたら「誰か分からん」。

——その言葉、ちょっと強くないですか?

2025年10月9日、西スポWEB OTTO!の記事が

俳優・小説家の水嶋ヒロさんの“近影”をめぐって話題を集めました。

「面影ここまでないのも」人気絶頂期の結婚から16年…水嶋ヒロ〝印象がらり〟現在の姿に「写真見ても誰か…」「水嶋ヒロさんとは思わなかった」

SNSの投稿を引用しながら、記事タイトルはこう始まります。

「面影ここまでないのも」

「印象がらり」

ネットの声として、

「誰か分からん」「面影ないね」「ここまでないのも珍しい」

とコメントが並びます。

でも——それってニュースじゃなくて、驚きの実況中継じゃないでしょうか。


🔍 構造:感情を共有させる「驚きの三段論法」

この記事の構造を整理すると、こんな流れです。

A:近影が投稿される(事実)

B:「印象がらり」と形容(評価)

C:SNSの驚きコメントを多数掲載(感情共有)

D:「珍しい」「話題」と締める(一般化)

これはSmokeOutでいう「感情三段論法」

「驚く(B)→共感(C)→正当化(D)」の順に、

読者の感情を“自然に正しい反応”に誘導します。

レトリック的には、

  • バンドワゴン効果(みんな驚いてる→私もそう感じる)
  • 誇張法(ハイパーボリー)(“ここまでないのも珍しい”で驚きを増幅)

    がセットで使われています。


💬 「面影」も「印象」も、主観のかたまり

そもそも「面影がない」とは誰の基準でしょう?

外見が変わることは、歳を重ねた証であり、

変わらないことこそ不自然です。

しかし記事は「珍しい」「驚き」といった語彙を繰り返すことで、

“変わる=話題になる”という構造的前提を作ってしまっています。

こうした報道は、UNESCO報道倫理ガイドライン が指摘する

「個人の外見や身体的特徴をセンセーショナルに扱うことは、尊厳の侵害にあたる」

に抵触するおそれがあります。

つまり、「驚かせること」が目的化した瞬間、報道は“他人の変化”をネタにしてしまうのです。


🧠 もう一つの問題:匿名の「ネットの声」

「誰か分からん」「ここまでないのも珍しい」

これらのコメントはすべて出典不明。何人が発言したのかも示されません。

IFJ(国際ジャーナリスト連盟)倫理憲章 は、

「引用は出典の明示ができない場合、代表性を誤認させてはならない」

と明記しています。

つまり「ネットの声」という匿名集合は、記者が好きな感情を選び取って“世論”として演出できる装置なのです。


🪄 見出しリライト:驚かせないタイトルで、尊厳を守ろう

元タイトル:

「面影ここまでないのも」人気絶頂期の結婚から16年…水嶋ヒロ〝印象がらり〟現在の姿に「写真見ても誰か…」「水嶋ヒロさんとは思わなかった」

🌤 改善案(SmokeOut基準):

水嶋ヒロさん、近影を公開 現在は投資家としても活躍

驚かせる必要も、「みんなが驚いてる」必要もない。

報道ができるのは、人の変化を事実として静かに伝えることです。


🌻 まとめ:「驚き」はニュースの形をしているけれど

記事が「驚き」を前提に構成されるとき、読者は“感情のテンプレート”を押し付けられます。

「驚くのが正しい」「懐かしいと思うべき」——そんな空気が、報道の中に密かに流れています。

Council of Europe「Resolution 1003」 は、

「報道は感情を利用するのではなく、理解を促すものでなければならない」

と定めています。

外見の変化を驚きで消費するのではなく、生き方の変化を理解する報道へ。

ニュースは、感情の実況ではなく、時間の記録であるはずです。

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